「吉田松陰」とその妹「文」の波乱の人生について

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「吉田松陰」

名前は聞いたたことがあるけど、どんなことをした人なのか? どんな人だったのか?

歴史に疎い私は知らない・・・

「大河ドラマ」のテーマにもなったことのある吉田松陰と妹「文」ですが、あまり深く知られることはないのでしょうか?

二人はどのような人生を送ったのでしょう?時代が違えば生き方も変わります。

ましてや時は明治維新が起ころうとしている最中。

二人の兄妹の波乱に満ちた人生と、松陰の残した言葉をご紹介したいと思います。

 

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生涯学問の人、吉田松陰とは?

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遡ること約200年前。

時は幕末、天保は元年の1830年。松蔭は、藩士の次男として現在の山口県に生まれました。

貧しい下級武士でしたが、学問にはとても熱心な家風だったといいます。

松蔭の叔父(父・百合之助の次弟)は、萩藩の「山鹿流兵学」の師範を代々務める吉田家に養子に入っていました。

しかし、松蔭が6歳の時にその叔父が亡くなってしまい、代わりに養子に入ることになりました。

兵学の師範となるため、これまた叔父である玉木文之進(父・百合之助の末弟)により、超ウルトラ英才教育が施されました。

幼い松蔭は、それでも必死に喰らいつき、若干10歳にして、日本三大学府の一つである長州藩の藩高「明倫館」で仕えることになりました。

その後、19歳で独立の師範となってからは、22歳まで明倫館にて山鹿流兵学の教鞭を執りました。

明倫館を出た松蔭は、長崎や江戸に留学し、もっぱら学問に徹し続けました。

転機となったのは、1853年のペリーの浦賀来航です。

23歳だった松蔭は、この出来事に大変な衝撃を受け、海外に渡りたいとの思いを抱くようになりますが、当時は海外への渡航は法的に認められておらず、結果的に牢獄入りとなってしまいます。

 

しかし、学問の人・松蔭は獄中でも囚人相手に「孟子」の講義をするなどして、風紀改善に取り組みました。

出獄後に生家に身を寄せると、今度は家族や村の人々を相手に講義を始めます。

こうして、「松下村塾(しょうかそんじゅく)」の名が広がるようになります。

 

明治のトップリーダーを育てた松下村塾(しょうかそんじゅく)とは?

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松下村塾は「しょうかそんじゅく」と読みます。

学問や講義の形式にこだわらず、時勢を論じ合ったり書を読み合うなど、単に知識を与える環境とは一線を画していました。

というのも、

  • 「何のために学問をするのか」
  • 「志のない学問など、何にもならない」

といった松蔭の信念が礎となっていたからです。

松蔭は、残念ながら30歳という若さで帰らぬ人となってしまいますが、

「高杉晋作」「久坂玄瑞」「山県有朋」「伊藤博文」といった、すばらしい面々を門下生として育て世に輩出しました。

 

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松蔭が遺した言葉の数々

  • 一日一字を記さば一年にして三百六十字を得、一夜一時を怠らば、百歳の間三万六千時を失う
  • 大器をつくるには、いそぐべからずこと
  • 学問とは、人間はいかに生きていくべきかを学ぶものだ
  • みだりに人の師となるべからず みだりに人を師とすべからず
  • 大事なことを任された者は、才能を頼みとするようでは駄目である 知識を頼みとするようでも駄目である 必ず志を立てて、やる気を出し努力することによって上手くいくのである。

 

そして辞世の句は、家族宛と弟子宛を残しました。

・家族宛

本文
  • 「 親思ふ 心にまさる 親心 けふのおとずれ 何ときくらん」
  • 子が親を思う以上に、親が子を思う心は深い 今日の処刑をどのような気持ちで聞くのだろう 

 

・弟子宛

本文 「身はたとひ 武蔵の野辺に 朽ちぬとも 留め置かまし 大和魂」
たとえ私の身は武蔵の野に朽ちても、私の思想は留め置きたいものだ

 

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松蔭の妹・文とは?

大河ドラマの主人公にもなったことがある文は、松蔭よ10歳年下の妹です。

幼い頃から松下村塾に出入りし、松蔭はもちろん尊敬する兄を慕って集う若者たちにも、可愛がられながら育ちました。

その後文は松蔭の愛弟子である久坂玄瑞」と結婚します。

しかし、時は幕末の動乱期。

長州藩士だった玄瑞は、世のため人のためと「尊皇攘夷(そんのうじょうい)」に奔走しますが、残念ながら、1864年に禁門の変で自決してしまいます。

結婚生活はわずか7年、文が22歳の時の出来事です。

多忙で家をあけることの多かった夫とは、もっぱら手紙のやりとりで交流を保ったそうです。

共に過ごせる時間はわずかでも、互いに想い合い、愛を育んでいたんですね。

夫を失った文は、それでも気丈に生き続けます。

長州藩主であった毛利家に仕え、跡継ぎである元昭の守役にも抜擢されました。

その後、美和子と名を変えた文は、亡き姉・寿の夫であった楫取素彦の妻となります。

ちなみに、楫取素彦は群馬県令(今で言う、群馬県知事)でしたが、のちに男爵となり、妻・文(美和子)も華族の妻として余生を送りました。

なお、第二の結婚は、文(美和子)が40歳、夫・素彦が54歳の時です。

素彦は玄瑞と親友だったそうで、若くして未亡人となった文をずっと案じていたそうです。

ちなみに、思い出の品として、玄瑞からの書簡を持ち込んで嫁いだところ、素彦はきれいな巻物にしてくれたとのことです。なんとも、心温まるエピソードですね。

この巻物は、「涙袖帖」として、今でも大切に遺されています

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最後に

幕末と言う激動の時代を生き抜いた兄妹は、とても濃密な人生を送ったのですね。

もし自分がこの時代に生きていれば、このように強い志を持って生きていけたのかな・・・?とてもじゃないけど、無理だと思いました。

 

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