「吉田松陰」とその妹「文」の波乱の人生について

11-17 吉田松陰_1

「吉田松陰」

名前は聞いたたことがあるけど、どんなことをした人なのか? どんな人だったのか?

歴史に疎い私は知らない・・・

「大河ドラマ」のテーマにもなったことのある吉田松陰と妹「文」ですが、あまり深く知られることはないのでしょうか?

二人はどのような人生を送ったのでしょう?時代が違えば生き方も変わります。

ましてや時は明治維新が起ころうとしている最中。

二人の兄妹の波乱に満ちた人生と、松陰の残した言葉をご紹介したいと思います。

 

Sponsered Link

 

生涯学問の人、吉田松陰とは?

%e7%ad%86%e3%81%a8%e3%81%99%e3%81%9a%e3%82%8a

遡ること約200年前。

時は幕末、天保は元年の1830年。松蔭は、藩士の次男として現在の山口県に生まれました。

貧しい下級武士でしたが、学問にはとても熱心な家風だったといいます。

松蔭の叔父(父・百合之助の次弟)は、萩藩の「山鹿流兵学」の師範を代々務める吉田家に養子に入っていました。

しかし、松蔭が6歳の時にその叔父が亡くなってしまい、代わりに養子に入ることになりました。

兵学の師範となるため、これまた叔父である玉木文之進(父・百合之助の末弟)により、超ウルトラ英才教育が施されました。

幼い松蔭は、それでも必死に喰らいつき、若干10歳にして、日本三大学府の一つである長州藩の藩高「明倫館」で仕えることになりました。

その後、19歳で独立の師範となってからは、22歳まで明倫館にて山鹿流兵学の教鞭を執りました。

明倫館を出た松蔭は、長崎や江戸に留学し、もっぱら学問に徹し続けました。

転機となったのは、1853年のペリーの浦賀来航です。

23歳だった松蔭は、この出来事に大変な衝撃を受け、海外に渡りたいとの思いを抱くようになりますが、当時は海外への渡航は法的に認められておらず、結果的に牢獄入りとなってしまいます。

 

しかし、学問の人・松蔭は獄中でも囚人相手に「孟子」の講義をするなどして、風紀改善に取り組みました。

出獄後に生家に身を寄せると、今度は家族や村の人々を相手に講義を始めます。

こうして、「松下村塾(しょうかそんじゅく)」の名が広がるようになります。

 

明治のトップリーダーを育てた松下村塾(しょうかそんじゅく)とは?

%e6%9d%be%e4%b8%8b%e6%9d%91%e5%a1%be

松下村塾は「しょうかそんじゅく」と読みます。

学問や講義の形式にこだわらず、時勢を論じ合ったり書を読み合うなど、単に知識を与える環境とは一線を画していました。

というのも、

  • 「何のために学問をするのか」
  • 「志のない学問など、何にもならない」

といった松蔭の信念が礎となっていたからです。

松蔭は、残念ながら30歳という若さで帰らぬ人となってしまいますが、

「高杉晋作」「久坂玄瑞」「山県有朋」「伊藤博文」といった、すばらしい面々を門下生として育て世に輩出しました。

 

Sponsered Link

 

 

松蔭が遺した言葉の数々

  • 一日一字を記さば一年にして三百六十字を得、一夜一時を怠らば、百歳の間三万六千時を失う
  • 大器をつくるには、いそぐべからずこと
  • 学問とは、人間はいかに生きていくべきかを学ぶものだ
  • みだりに人の師となるべからず みだりに人を師とすべからず
  • 大事なことを任された者は、才能を頼みとするようでは駄目である 知識を頼みとするようでも駄目である 必ず志を立てて、やる気を出し努力することによって上手くいくのである。

 

そして辞世の句は、家族宛と弟子宛を残しました。

・家族宛

本文
  • 「 親思ふ 心にまさる 親心 けふのおとずれ 何ときくらん」
  • 子が親を思う以上に、親が子を思う心は深い 今日の処刑をどのような気持ちで聞くのだろう 

 

・弟子宛

本文 「身はたとひ 武蔵の野辺に 朽ちぬとも 留め置かまし 大和魂」
たとえ私の身は武蔵の野に朽ちても、私の思想は留め置きたいものだ

 

%e6%9d%be%e4%b8%8b%e6%9d%91%e5%a1%be%e3%80%80%e7%9c%8b%e6%9d%bf

 

 

松蔭の妹・文とは?

大河ドラマの主人公にもなったことがある文は、松蔭よ10歳年下の妹です。

幼い頃から松下村塾に出入りし、松蔭はもちろん尊敬する兄を慕って集う若者たちにも、可愛がられながら育ちました。

その後文は松蔭の愛弟子である久坂玄瑞」と結婚します。

しかし、時は幕末の動乱期。

長州藩士だった玄瑞は、世のため人のためと「尊皇攘夷(そんのうじょうい)」に奔走しますが、残念ながら、1864年に禁門の変で自決してしまいます。

結婚生活はわずか7年、文が22歳の時の出来事です。

多忙で家をあけることの多かった夫とは、もっぱら手紙のやりとりで交流を保ったそうです。

共に過ごせる時間はわずかでも、互いに想い合い、愛を育んでいたんですね。

夫を失った文は、それでも気丈に生き続けます。

長州藩主であった毛利家に仕え、跡継ぎである元昭の守役にも抜擢されました。

その後、美和子と名を変えた文は、亡き姉・寿の夫であった楫取素彦の妻となります。

ちなみに、楫取素彦は群馬県令(今で言う、群馬県知事)でしたが、のちに男爵となり、妻・文(美和子)も華族の妻として余生を送りました。

なお、第二の結婚は、文(美和子)が40歳、夫・素彦が54歳の時です。

素彦は玄瑞と親友だったそうで、若くして未亡人となった文をずっと案じていたそうです。

ちなみに、思い出の品として、玄瑞からの書簡を持ち込んで嫁いだところ、素彦はきれいな巻物にしてくれたとのことです。なんとも、心温まるエピソードですね。

この巻物は、「涙袖帖」として、今でも大切に遺されています

11-17 吉田松陰_2

 

最後に

幕末と言う激動の時代を生き抜いた兄妹は、とても濃密な人生を送ったのですね。

もし自分がこの時代に生きていれば、このように強い志を持って生きていけたのかな・・・?とてもじゃないけど、無理だと思いました。

 

Sponsered Link

 

関連記事

プランターで家庭菜園!初心者でもできるおいしいミニトマトの育て方

プランターでの家庭菜園の魅力は、省スペースで手軽に野菜が作れることですよね。 手軽に作

記事を読む

火事の恐怖、一酸化炭素中毒!原因と症状。身を護るためには?

地震や津波・台風など、様々な災害がありますが、火事もそのひとつですね。 特に空気が乾燥

記事を読む

「冷房」と「ドライ」を天秤にかけているイラスト

冷房とドライの違いを徹底調査!気になる電気代と温度変化は?

暑くなってくると欠かせないのが「エアコン」ですね。 冬は「暖房」一択ですが、夏には「冷房」と「

記事を読む

カモミールの育て方と種まきについて。春と秋どっちがいいの?

カモミールは見た目のかわいらしさはもちろん、たくさんの効能が認められています。 特にリ

記事を読む

お肉の冷凍、解凍術!もっとおいしく上手に便利に使おう!

お肉は年中手に入る上に調理の幅も広いとあって、安売りなどで買い込んだはいいものの、保存や解凍時に

記事を読む

インフルエンザと風邪の見分け方。放っておくと大変なことに!

先日友達から「インフルエンザの予防接種」を受けたと聞きました。 振り返ってみると、私は毎年のよ

記事を読む

整骨院と接骨院違いはあるの?保険は?利用する前に確認を!

「整骨院」と「接骨院」。「何が違うのかな?」とふと疑問に思いました。 身を預ける場所だからこそ、気

記事を読む

「地震・津波」のときの行動、災害時にするべきこととは?

災害はいつやって来るかわかりません。 まさにその時!に 「するべき行動」や「日頃から備えてお

記事を読む

赤ちゃんの指しゃぶりはいつまでOK?実録!ピタッとやめたその方法

乳児期を終え、どんどん成長して行くのに、指しゃぶりは一向にやめる気配がない! 「うちの子はいつ

記事を読む

長靴の洗い方と乾燥法!気になる臭い対策もバッチリの方法とは?

長靴は利用する目的からして、とても汚れやすいですよね。しかも中は蒸れやすいので臭いが気になる方も

記事を読む

 

Message

メールアドレスが公開されることはありません。

PAGE TOP ↑